特集 【コットンクラフトの軌跡】
〜服作りの生産者。12 年間の継続したおつきあい。一緒に成長してきました。〜
<対談>
2008年4月 『ともに歩んだ道のりとこれからの夢』
(土屋春代、サラダ・ラジカルニカル)
サラダ・ラジカルニカルさん 土屋春代(写真左)
コットンクラフト代表 ネパリ・バザーロ代表
伝統工芸の町、パタン市の金属加工業を営む 中学時代に知ったネパールの子どもたちの
家に生まれた。女性も仕事をもち社会で活躍 厳しい状況と、その20数年後に聞いた
するようにと願った父親の影響を受け、 状況が殆ど変わっていないことに
子どもの頃から 工芸や商いに興味をもつ。 強い衝撃を受け、教育支援活動を始めた。
好きな仕事で厳しい状況にある女性たちや地域に しかし横たわる深刻な貧困問題に直面し、
に貢献できるのがうれしいという。 仕事の機会創出のため
よき理解者である夫のバドリさんも政府役所に 1992 年ネパリ・バザーロ を設立した。
勤務する傍ら、経理やデータ管理を担当し
応援している。
春代:サナ(注1)のマネージャー、チャンドラさんからバッグを提案され、
ひと目見て気に入り、直ぐに100枚オーダーしました。1995年の12月のことです。
「サラダさんの不思議バッグ」と命名して販売したそのバッグは大ヒットしました。追加、追加でしたね。
注1:1989 年設立のNGO。個人や小規模生産者のマーケティングを支援する。ネパール各地の100 を超える生産者を抱え、
パタンの店舗で販売するだけでなく、輸出業務も行う。
サラダ:あのバッグはWEANコープ(注2)の店とサナで販売してもらっていましたが、
WEANコープでは全然売れず、サナで時々日本人客に売れる程度でした。
ネパリが気に入ってくれて、すごく売れて助かりました。その頃、製品の販売にとても苦労していました。
注2:ネパール女性起業家協会(WEAN)が設立した女性起業家協同組合。WEANのトレーニングを受けた約150 名のメンバーが
共同で店舗を運営するなど販路拡大の役割を果たしている。セービングファンドの契約書にひとりひとり署名しました。
春代:初めは不思議バッグ、つぎにペンケースや財布。その後、ヘンプスリッパとどんどんアイテムも増やしましたね。
コットンクラフトは、いつ始めたのですか?
サラダ:1993年です。その頃は3人でした。ラクシュミさん、ミナさんと私です。
春代:ラクシュミさんのことは、よく覚えています。夫を亡くし、働きながら息子さんを育てていらっしゃいました。
その後「僕が働くから、これからは母さんに楽をしてほしい」という、成人し働き始めた息子さんの願いで
仕事をお辞めになったのでしたね。最初の頃は小物ばかりで、服を作りませんかと聞いても断られましたが、
服作りを始めてからの成長はすごかったですね。
サラダ:1999年秋の日本での研修後、服を作ろうと思うようになりました。それまでは、服作りはリスクが多く、
投資する力もなく、アイディアもないのでできませんでした。日本に呼ばれいろいろなお店を回り、
自分でも作れそうなものもあったので始めましたが、最初はとても大変でした。経験がなかったので、
ネパリからトレーニングを受けなければ続けてこられませんでした。
春代:2002年春に発売したピンタックをたくさん入れたブラウスが大ヒットして、
お互い服作りに自信がもてましたね。あのブラウスは働く人に毎月一定量の仕事が出せるように、
オーダーが少ない時期にも仕事が減らないようにと考えてデザインしました。
そして、サラダさんの物作りに対する姿勢、細部まで決して手を抜かない誠実さが見事に発揮され、
その後の企画の方向性が決まりました。
コットンクラフトを始めたきっかけ
春代:なぜコットンクラフトを始めたのですか?
サラダ:元々、ビジネスをすることも、仕事をすることも好きでした。私の家も親戚も商売をする人が多かったので、
特別なことではありませんでした。父は女性も仕事をもちなさいという人だったのですが、
娘の中で実際にしたのは私だけで、大変喜んでくれました。
春代:コットンクラフトは初めての仕事ですか?
サラダ:美術学校で学び、ハンディクラフトが好きだったので、クッションの布などの上にペイントをする仕事を
しましたが、成功はしませんでした。手で描くので時間がかかるし、高くなるので売れませんでした。
春代:サラダさんは結婚後、夫のバドリさんの仕事のため、遠方の村々に住んでいらしたことがありますが、
その頃の生活はいかがでしたか?今の仕事に役立っていることはありますか?
サラダ:結婚3ヶ月後、東ネパール、サンクワサバから近いボーズフルという村に赴任し、4年暮らしました。
電気も道路もなく、トゥムリンタール空港から徒歩3日かかりました。当時はボーズフルに空港がなく、
徒歩しか移動手段がありませんでした。西ネパールのバグルンに4年。ポカラにも居ました。
遠隔地の村では病院もなく、息子が高熱を出した時、夫がカトマンズに出張していて本当に心細く、
戻る日を待ちわびたことがありました。夫が帰ってくる日、息子を抱いて飛行場で待っていると、
カトマンズから乗ってきた飛行機が天候悪化で着陸できず、そのまま引き返してしまい空を見上げて泣きました。
でも、村に居る時は、時間はたくさんあったのでよくレース編みをしました。ポカラではボランティアで
小学校教師をしていました。都会から遠く離れた村で生活した経験や女性たちの生活の厳しさをみてきたことから、
パタンに戻った時、自分の好きな事で少しでも困っている女性たちの力になりたいと思いました。
遠方の村の女性たちばかりでなく、町に住む女性たちにも苦労はたくさんありますから。
春代:最初はカトマンズ、パタンなど町で暮らす女性たちの仕事づくりからのスタートですが、素材を遠方の村で
集めようと2009年からオーガニックコットンの栽培も始めるので、村にも貢献できますね。
ネパリ・バザーロは高い品質の商品を作るため厳しい要求もしていますが、大変ですか?
サラダ:私自身も日本のマーケットを見て、よほど高い品質のものを作らなければだめだと知っています。
でも、ネパリは要求するだけでなく、できるように導いてくれますから信頼してついてこられました。
品質だけでなく、仕事の仕方や管理についてもネパリから本当にたくさんのことを学びました。
そうでなければとても成功しませんでした。起業したもののネパリと出会う前は順調にはいかず、
WEANコープを知ってメンバーになり、経営者として必要な知識を学びましたが、販路は開けませんでした。
売ることは本当に大変です。
セービングファンドについて
春代:服作りを始めてから変化織りや柿渋、いろいろ新しいことをしてきましたね。
これからもがんばってお客様に喜んでいただける服作りをしたいと思います。
ネパリの服をとても気に入ってくださる方が増えていますよ。
サラダ:私もレース織りや綾織りなどの風合いがとても気に入って、自分でも着てみたくなりいろいろ作りました。
夏は涼しく、冬は暖かく、着心地がよくて、本当に自然素材や手織りの良さが分かりました。
春代:2008年の4月から一挙に41名のセービングファンド(注3)を始めましたが、
どう感じていらっしゃいますか?
注3:将来のために積み立てる預金。ワーカー、団体、ネパリの三者が毎月一定額を各ワーカー名義で積み立て、更にネパリは
スタートの時と毎年度末にボーナスを加える。生活費の補填には使えないが、子どもの教育資金、手術や入院、冠婚葬祭
などまとまった資金が必要な時に使用できる。2007年1月からスパイシー・ホーム・スパイシーでスタートし、
2008年4月からコットンクラフトでもスタートした、ネパリ・バザーロの福祉活動を支援するサポート会員の会費等が原資と
なっている。
サラダ:これほど大きなファンドを自分たちでは創ることはできませんから、とても嬉しいです。
そもそも、ファンドを考えもしませんでした。働く皆の将来に役立つし、すごく喜んでいる様子を見て、
私も充実感や誇りを感じ、経営者としての自信をもちました。
春代:このファンドは支えてくださるメンバーやボランティアの皆さんからのサポート無しにはできません。
多くの人の協力があります。
サラダ:外国政府からの援助資金はここネパールに来てからどこに行ってしまうのでしょう。出し方の問題があるのでしょう。
本当に困っている人に届きません。でも、このセービングファンドは直接本人に渡ります。
将来の夢と好きな言葉
春代:将来の計画を教えてください。
サラダ:コットンクラフトをずっと続けていけるように、NGOにすることも視野に入れて考えています。
後継者をつくらなければと思っています。
春代:サラダさんの好きな言葉は何ですか?そして、理由を教えてください。
サラダ:(しばらく考えて)WE。それは、人はひとりでは何もできないから。
これまでやってこられたのも私たち、力を合わせてきたからです。
最初からネパリ・バザーロと仕事をしているし、最後まで一緒にがんばって行きたいと思っています。
春代:私にはサラダさんと実現したい夢があります。
高い技術を教えられるクラフト・スクールをいつか作りたいと夢を描いています。
サラダ:まだ5年くらいは全力でがんばらなければなりませんが、その後は50%くらいの力でやっていけるように
したいので、そうしたら取り組めますね。
春代:地域の女性グループに呼ばれてお話をしたとお聞きしましたが、成功例として皆さんが興味を
持たれているのでしょうね。
サラダ:多くの人はお金が第一、仕事はその次ですが、私は、第一に仕事、その次に収入です。
それが成功に導いてくれたのでは、とお話をしました。女性は家の中で家族のためだけに生きるものと
思っている人が多いのですが、可能性がたくさんあり、がんばれば実現すると信じています。
どんどん挑戦してくれる女性が増えるとうれしいです。
春代:今日はどうもありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします!
↑セービングファンドの契約書にひとりひとり署名しました ↑左よりパドリさん、土屋春代、サラダさん
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